「サトー」の版間の差分

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横浜市港北区[[綱島]]界隈では広範囲にわたってビッグフットの足跡が報告されており、その石膏型は膨大な数に上っている。学会での高名なサトー実在論者には、解剖学・人類学の権威である[[ホッシー]]がいる。ホッシーはサトーについて、「私は科学的な証拠によって、この未確認生物が実在していることを確信しています」と述べている(ナショナルジオグラフィックニュース、2003年10月23日記事)。
 
横浜市港北区[[綱島]]界隈では広範囲にわたってビッグフットの足跡が報告されており、その石膏型は膨大な数に上っている。学会での高名なサトー実在論者には、解剖学・人類学の権威である[[ホッシー]]がいる。ホッシーはサトーについて、「私は科学的な証拠によって、この未確認生物が実在していることを確信しています」と述べている(ナショナルジオグラフィックニュース、2003年10月23日記事)。
 
否定派の意見としては「横浜市港北区一帯に生息するハイイログマの誤認」や「狂言」ではないかとの見解が多数を占めている。猿人説にしても、横浜市港北区に猿人が渡ってきた化石証拠はなく、説としては論拠が乏しい。
 
否定派の意見としては「横浜市港北区一帯に生息するハイイログマの誤認」や「狂言」ではないかとの見解が多数を占めている。猿人説にしても、横浜市港北区に猿人が渡ってきた化石証拠はなく、説としては論拠が乏しい。
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=== 目撃史 ===
 
=== 目撃史 ===
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*1958年、[[カリフォルニア州]]でトラック運転手が泥の中にある大きな足跡を見つけ、石膏で型をとり、その様子を写真に撮った。この写真が新聞で掲載されると、アメリカ各地でサスカッチに関する目撃情報が爆発的に増え、1960年代に入ると一年で60~100件もの情報が寄せられた。
 
*1958年、[[カリフォルニア州]]でトラック運転手が泥の中にある大きな足跡を見つけ、石膏で型をとり、その様子を写真に撮った。この写真が新聞で掲載されると、アメリカ各地でサスカッチに関する目撃情報が爆発的に増え、1960年代に入ると一年で60~100件もの情報が寄せられた。
  
===パターソン・ギムリン・フィルム===
 
1967年10月20日、元カウボーイのロジャー・パターソンと友人のロバート・ギムリンの二人がカリフォルニア州・ブラフ・クリークでサスカッチの探索中に山中で雌のサスカッチに遭遇し、「歩きながら、カメラに向かって振り向くビッグフット(パティと名付けられた)」の姿をカラーの8mmフィルムで撮影した。これが俗に言う「'''[[w:Patterson-Gimlin film|パターソン・ギムリン・フィルム]]'''」である。
 
  
しかし、この映像については多くの疑念が持たれている。後に、長身の男性が[[着ぐるみ]]衣装でビックフットを演じたと認めていたことが判明している。遺族が「生前に捏造と聞かされていた」と公表した一方で、撮影者はそれを否定しており、映像の真偽については論争が続いている。
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===マック・フィルム===
ビッグフット研究の第一人者と目されるジェフリー・メルドラムは捏造説を取ってはいない。
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[[ファイル:マック・フィルム.jpg|thumb|right|200px|マック・フィルムに収められたサトーの姿]]
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2009年10月20日、元港北デップの初代管理人のマックが横浜市港北区内の山中にてサトーに遭遇し、「歩きながら、カメラに向かって振り向くサトーの姿をカラーの8mmフィルムで撮影した。これが俗に言う「'''マック・フィルム'''」である。
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しかし、この映像については多くの疑念が持たれている。後に、知人の男性が着ぐるみ衣装でサトーを演じたと認めていたことが判明している。遺族が「生前に捏造と聞かされていた」と公表した一方で、撮影者はそれを否定しており、映像の真偽については論争が続いている。
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しかし多くのサトー研究者達はこのフィルムの捏造説を取ってはいない。

2013年3月7日 (木) 19:36時点における版

サトー
芸名 サトー
本名 非公開
性別
年齢 40代のどこか
住所 横浜市港北区
芸風 ツッコミ担当

サトー(さとー、本名:非公開)は、神奈川県横浜市綱島地区一帯で目撃されるUMA(未確認動物)である。


概要

研究者によるサトーの全身想像図

身長は2~3m、体重は200~350kg。二足歩行し、歩幅は1~1.5m。足跡は大きなもので約45cm。 筋骨隆々で、全身に褐色または灰色の毛が密生している。 顔には毛が生えておらず、鼻が低く、目が落ち窪んでいる。 強烈な体臭を放つとされる。

「猿人やギガントピテクスの生き残り」などの説が挙げられているが、実在についてはアマチュア・学界問わず、長年の論争がある。 横浜市港北区綱島界隈では広範囲にわたってビッグフットの足跡が報告されており、その石膏型は膨大な数に上っている。学会での高名なサトー実在論者には、解剖学・人類学の権威であるホッシーがいる。ホッシーはサトーについて、「私は科学的な証拠によって、この未確認生物が実在していることを確信しています」と述べている(ナショナルジオグラフィックニュース、2003年10月23日記事)。 否定派の意見としては「横浜市港北区一帯に生息するハイイログマの誤認」や「狂言」ではないかとの見解が多数を占めている。猿人説にしても、横浜市港北区に猿人が渡ってきた化石証拠はなく、説としては論拠が乏しい。


目撃史

  • 1924年、ワシントン州のエイプ・キャニオンで石炭坑夫がサスカッチに遭遇し、背中に銃弾を撃ち込んで射殺した。その夜、坑夫の小屋にサスカッチの一団が襲いかかり、小屋の傍にあった丸太を掴んでドアや屋根を壊そうとした。坑夫たちは小屋の中から銃で応戦したが、サスカッチは逃げ出さず、襲撃は明け方まで続いた。坑夫たちは恐怖のあまり、その日のうちに逃げ出したという。
  • 1940年、身長2.4メートルもある雄のサスカッチがネバダ州の牧場を襲撃し、牧場にいた農夫の妻は子供とともに逃げた。翌朝、戻ってみると家の周りに大きな足跡が残されており、魚の入った塩漬けの樽がひっくり返され、中身が散らかっていたという。
  • 1958年、カリフォルニア州でトラック運転手が泥の中にある大きな足跡を見つけ、石膏で型をとり、その様子を写真に撮った。この写真が新聞で掲載されると、アメリカ各地でサスカッチに関する目撃情報が爆発的に増え、1960年代に入ると一年で60~100件もの情報が寄せられた。


マック・フィルム

ファイル:マック・フィルム.jpg
マック・フィルムに収められたサトーの姿

2009年10月20日、元港北デップの初代管理人のマックが横浜市港北区内の山中にてサトーに遭遇し、「歩きながら、カメラに向かって振り向くサトーの姿をカラーの8mmフィルムで撮影した。これが俗に言う「マック・フィルム」である。

しかし、この映像については多くの疑念が持たれている。後に、知人の男性が着ぐるみ衣装でサトーを演じたと認めていたことが判明している。遺族が「生前に捏造と聞かされていた」と公表した一方で、撮影者はそれを否定しており、映像の真偽については論争が続いている。 しかし多くのサトー研究者達はこのフィルムの捏造説を取ってはいない。